2010年2月25日木曜日

仮面考察

お母さんとなってまず感じたのが「過去の無さ」だ。
どういう事かというと・・・・・説明が難しい。

妊娠と出産は、人生に於けるオリンピックみたいなもんで
特殊な踏ん張り所であると同時に
現代において唯一生き残っている原始的通過儀礼である
とあたしは思う。
男女の差として、肉体的な苦痛を超えていくあたりで、
感じ方に差異が生じるのはいたしかたあるまい。
まあそこらへんは男は置いてきぼりだよね、って正直思う。
あたしはフェミニストじゃ無いから男女のそんなこんなに
社会的な思いやり発言なんかしねえもんねーだ。

・・・そんな痛い思いをした後、とりあえず
○○チャンのママとして生きるしかない時期がやってくる。
赤んぼがまだ腹やら背中やら足やらにしがみついて
ホゲホゲ泣いてる時期。
元スチュワーデスも元銀行員も元ヤンキーも
はたまた元レースクイーンも
正常分娩だろうが帝王切開だろうが
たるんだ産後の腹の皮とオムツを抱えてひたすらに生きるのだ。
選択肢はほとんど無い・・と思う。
婆やと執事がいれば話は別なんだろうけど。
自分ではないもののためにあれほどの時間と労力と脳みそと心を
つぎ込むことはもう絶対無いと思う。
いや、楽しいよ、かわいいし。
・・・・でもやがて「互いに」燃え尽きる。
アイツらだって、いつまでも赤ちゃんじゃないもんね。

そしてお母ちゃんはふと気づくのだ。
顔に張り付いた「お母ちゃん仮面」の存在に。

その頃には、「赤んぼ」は「クソガキ」という
別のイキモノに進化をとげている。
あんまりかわいくもないかも・・・・と醒めた気持ちが胸をよぎると、
入れ替わりに忘れていた自我がムックリ起き上がって
ヒンズー・スクワットをおっぱじめるのよ。

最近、旧知のお母ちゃんと話していると
実は昔小劇場の役者だったとかバンドでボーカルとってたとか
「実は」っていう話題になることが多々ある。
あたしがこのたびカミングアウトしたからかもしれないけど。
○○チャンのママからはみ出してくる、その人の「通過儀礼」以前が
なにやら愛しい今日この頃だ。

失ったものはいつまでも輝いている。そしてもう戻っては来ない。
それでいいと思う。
過去に戻りたいとは思わないし、あたしはどっちかといえば
・・・・・まっぴらゴメンだ。

でも「仮面」を外すタイミングを見失ってはいけないと思う。
しがらみは悪だ。
どんなに愛していても所詮一人だ、という考え方は
悲しい考え方だろうか?
救いでもあるとあたしは思うのだが。


過去を失ったとしても「オノレ」を失ってはならんと思う。

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