2009年11月5日木曜日

愛という地獄

こう書くとタイトル重いですね~。ははははは。読者が増えて文章書くのも張合いがあります!
愛、とか恥ずかしげもなく言える日が来るとは思ってもみなかったが、来るんだこれが。
愛は与えるものなのか?与えたり奪ったりするものなのか?だったらどっかに便利な「愛の泉」があって、無限に沸き出てればいいね・・・・温泉みたいにさ。
「愛情が不足している」のが諸悪の根源のように言われている様だが、ミリリットルでもデシリットルでもヘクトパスカル(気圧)でもマッヘ(温泉のラジウム含有量)でも何でもいいけど、どれくらい足りれば合格なのか?
幼いころの愛情不足が原因で、いろんなことになってしまった大人がうじゃうじゃいて、おねしょもいじめも反抗期も通り魔殺人もドメスティック・バイオレンスも不景気も郵便ポストが赤いのもみんなお母ちゃんの愛が足りなかったからだって言うけどそうなのか?

責任重大すぎるだろそりゃ。

たしかにそういうこともあるだろう・・・・なんて反論封じの常套句は使わないとして、ここは言いたい。個人的な愛にはすべからく限りがあるのだと。
自己愛とか偏愛とか愛にもいろいろある。めちゃくちゃ歪んでるのとかにもお目にかかって焦ることもあるよね(えっ、・・・ない?)。すてきな無償の愛だけが愛ではないと大人なら知っている。
長生きしているうち分かったことだけど、必要な愛の量も、生まれたときから個々違うという確信がある。
20グラムで大満足の人もいる反面3トンでも腹ペコの人もいる。どれくらい?これくらい、って目に見えないものは計れないし、愛をいっぱい食べるから駄目なやつだってわけでもないだろう。燃費は悪いだろうし本人は辛いだろうけど罪ではないと思う。
これでもかと愛情の表現を求める恋人に辟易した経験のある人にはわかるだろうか。「重い」って奴ね。「この底なし沼のような空洞の容量を埋めてくれ~愛をくれ~」ってやられたら、裸足で逃げ出したくなる。それが人情だ。そしてたいてい逃げる。ミケちゃん様もかつて逃げたし逃げられもした。
お母ちゃんは逃げられない。
底なし沼のような要求をする子供を授かってしまったお母ちゃんは、とても頑張った末に「愛情不足」と言う判決を食らう。おっぱいも愛情も求められるだけ与えましょうと育児書にはっきりと書いてあるが、書き直してほしい。「持っている愛をおおむね与えましょう。なくなってきたら世間からちょびっとづつわけてもらいましょう」って。
こちとら神様じゃねぇんだから。

あら・・・お下品。

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