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2010年8月22日日曜日

おもいで

朝のコーヒーはマグカップで飲む。
これはコールマン製の古いランタン達がプリントされたマグカップだ。
これはこれで好きだけれど

長年使っていたものは昨日割れてしまった。

上京して暫く経って一番しんどかった頃
住んでいた参宮橋の雑貨屋で手に入れた。

白地に濃いブルーで
子供のらくがきみたいな動物のイラスト
それぞれの動物の下にやはり
幼い字体の英語で名前が書きなぐってあった。
キリンとかライオンとか動物園のいきもの達。

雨の日も晴れた日もどこに住み何を売り飛ばしても
これは残っていて

これでコーヒーを飲んで生きてきた。

特に気に入って買ったわけでも愛着があったわけでもない。
動物が何種類いたかも答えられないくらいだ。
劇団事務所で使っていた時期
何年間も行方不明になり
ある日ひょっこり返却された。
翌日にはまた
何事もなかったように
あたしの朝に寄り添っていた動物マグカップ。

あたしが留守にしている間に割れて
すでにゴミに出されていた。

お別れがしたかった。

おもいでは個人的なものだ。
どんなに親しい人とも
この生々しさを共有することはできないから
あたしのこの怒りと残念さは
いつもの思い込みの激しさによる空回りに過ぎない。
わかっているけど

あまりにも悲しくて。

5 件のコメント:

  1. 奇しくも僕も、“この世はどうあがいても有限なのだよ”という記事を自分のブログに書いたところです。
    だから大切にし合えるのかもしれない。
    大切にしてもらってカップも喜んでいるんじゃないかな。

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  2. 追記です。
    カップにしてみれば、最期はミケちゃん様には見られたくなかったのかも。動物ってそうでしょう? でも、大切にしてくれたご恩はきっと忘れないのだと思う。
    それで許してあげて。

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  3. 『生あるものは死す 形あるものはいつか壊れる」
    そういえば、これが父親の口癖でした。

    おもいだした。ありがとう。

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  4. 私もお揃いの茶碗を2度割ったことがあります。1つ割った時、もう片方の茶碗が残って、とても辛くて捨てずに置いたまま、また新しい夫婦茶碗を購入。しばらくしてその新しい茶碗も1つ割ってしまい、今は残った片方ずつの茶碗を使っています。片方ずつだけど、それぞれ思い出があるから。

    形あるものは壊れない限りずっと思い出に残るけど、人間同士の思い出は、10年20年…と経っていくと、「そんなことあったっけ?」と、忘れさられることもあり、これは本当にツライです。

    私には会いたい人がいます。最後に会って13年位経つんですが、覚えててくれてるのかどうか…。
    会いたくても、人間ってなぜか連絡を取らない期間が長くなり年月が経つと「いまさら何?」と思われたり思ったりしてしまうんですよね。

    今どうしてるかわからない私の会いたい人、どうしたら会えるんだろう…。

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  5. 昔は毎日のように会っていた友人と、妊娠をきっかけに会わなくなった。
    その人は子どもが好きじゃなかったからかな・・・(俺もそうだったけど)

    それきりです。

    境遇が変わると興味も変わるのでしかたないことだけど
    さみしいよね。
    でも年賀状だけはだしてます。
    あちらからも来ます。

    「季節のごあいさつ」は捨てたもんじゃないよ。

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